(仮)

人生は(仮)くらいで丁度いい。

応障害あの時会社を辞めていなかったら今頃生きていられたのだろうか・

適応障害で会社を退職して早10ヶ月。

会社を辞めて待っていたのはちょっぴりの不安と輝かしい毎日だった

会社を辞めるという決断は怖かった

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会社を辞めるのはめちゃくちゃ怖かった。

今まで積み上げてきた信頼が崩れ落ちる気がしたから。

 

毎月25万円弱の給料も無くなるし次の職が決まっている訳でもない。

働いている今はとても苦しいけれど、会社を辞めて何も見えない未来に飛び込んで行くほうがもっと怖い。

あの時の僕はどこにいっても不安だらけの毎日から動けずにいた。

 

遂に身体が限界を迎えて大怪我を負う

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毎日苦しいのに自分に嘘をついて我慢し続けて働き続けた。

そんなこと続けていたらどこかで限界がくるよね。

僕はある日、泥酔してカラオケの廊下で転倒。靭帯断裂と骨折2箇所の大怪我を負った。

 

今では笑い話だ。

「酔っぱらって転んで靭帯断裂とかやばくないすか??笑」ってよくネタにする。

 

でもあの時は、「ああ、明日から仕事どうしよう」って一番に思ったなあ。怖い怖い。

 

ああ、辞めようと思った

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正直復職する気だった。

さっきも言ったように辞めるのは怖かったから。

 

でも、それでも、心の中では「辞めたい」って叫んでいたし、復職の期日が迫るに連れて適応障害の症状は現れてくる。

ああ、働いちゃダメなんだって思った。

だから会社を辞めて少し休もうって思った。

お疲れ様自分。

 

待っていたのは楽しい日々だった

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退職後は何も決まっていなかった。

幸いにも「傷病手当金」という制度のおかげで毎月20万くらいもらえていたのでお金の面で苦しむことはなかった。

 

地元で親友の結婚式に参加したり、関西を無計画で旅行してみたり、はやてとゆーきちゃんの「育むシェアハウスとっと」に突然住むことが決まったり、麻雀したり、ゲームしたり、ゆーきちゃんの出産に立ち会ったり、毎日刺激的で今までの社会人生活とは全く違うものだった。

 

毎日時間が過ぎるのがとても早く感じた。

働いている時は1週間があんなに長かったのに。

 

10ヶ月たった今、再び働き始めることができている

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退職から10ヶ月、大怪我から1年、適応障害発症かは多分1年半経過して再び働く始めている。

外部人事、エアビーの予約対応、ライター、ブログなど普通のサラリーマンとは全然違うけど、サラリーマン時代の月給よりは多くもらえている。

本当にありがたい。

 

まだ、たまに適応障害の症状が出るから無理しちゃ行けないけどね。

 

あの時会社を辞めていなかったら

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あの時会社を辞めていなかったら、僕は壊れていただろう。

もしかしたら死んでいたなんてこともあると思う。

今考えると恐ろしい。

 

現在、元気に生きていけているのは間違いなくあの時会社を辞めることができたから。

暗闇に飛び込む僕には勇気があったのかもしれない。

 

僕は働いて、もっと成長して、適応障害になって会社を辞めるかどうか悩んで苦しんでいる人に、「仕事は僕が振ってあげるから会社辞めて少し休みなよ」って言ってあげるんだ。

僕は働くよ。僕と同じ苦しみを味わう人を減らすために。

 

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